想い出のあまるべ
◆種別:快速
◆区間:豊岡~浜坂
餘部鉄橋は山陰線・鎧~餘部間に架かる鉄橋です。トレッスル橋と呼ばれる構造でアメリカから鋼材を輸入し明治45年に架けられました。むき出しの赤い鉄骨が特徴的な鉄橋です。
海沿いの高所にあるため強風で運休の原因になってしまうこともしばしばです。今まで3~4回渡ったことがありますが、いずれも「あさしお」・「だいせん」・「エーデル北近畿」・「出雲」など今ではお亡くなりになった列車に乗っていて、餘部鉄橋の記憶は列車の記憶ほど残っていなかったりします。
3月24日~4月1日の毎日に豊岡~浜坂間で快速「想い出のあまるべ」号が運転されました。餘部鉄橋はこの春にも架け替え工事が始まり、今の形では近々なくなってしまうので、これを機に思い切って乗りに行くことにしました。
そして、2月25日朝西日本のとある駅にて。私はこの列車の指定券を取るべく窓口に並んでいました。自分の番が回ってきた時に申込書を渡し、1ヶ月前発売してほしい旨を告げました。そしたら…
駅:「お客さんの前に『オペラ座の怪人』取りたい方がいてはるのでその後になりますがよろしいですか?」
私:(はぁ?なんですと??)「じゃあ10時ちょうどは無理ですよね?」
駅:「そうですねぇ…申し訳ないですが」
横にはその先客らしき初老のおばちゃんがいました。まさか駅のみどりの窓口で「オペラ座の怪人」のチケットを買う人がいるとは思いませんでしたが、ネットもプレイガイドも不便な人にとっては駅で取るのがもっとも確実な方法のかもしれません。私はこの駅を諦め別の駅へ移動しました。
行った先の駅には先客はおらず、オッサン駅員がヒマそうにしていました。私が申込書を渡すと「確かそんな列車があったなぁ…」と通達(?)を綴じたファイルを見ながらマルス端末に入力していました。10時2分前ぐらいに入力が終わり、駅員は自分の腕時計を見ていました。私は駅員の腕時計の時刻がちゃんと合っているのか気になっていました。そしてあるタイミングでポンと無造作に「発信」ボタンを押しました。
「カチャン!」という乾いた音とともに指定券が出てきました。画面を切り替えてもう一度「発信」を押してもう1枚指定券が出てきました。
駅:「往復ともお取りできましたよ」
事もなげにそう言うオッサン駅員から後光が差しているようにさえ見えました(爆)「発信」ボタンを押すタイミングが速くても遅くてもダメで、絶妙なタイミングが必要です。まさに職人技です。1ヶ月前発売はよく利用するんですが、朝申込書を預けて夕方取りに行くことがほとんどなので、目の前で作業を見たのは初めてです。前日別の駅で撃沈していただけあってお見事でした。
(山陰線・鎧~餘部)
列車はJR西日本宮原総合運転所所属のDD51-1183で客車は京都総合車両所の12系客車4両編成でした。私的には結構気合を入れて指定席を取ったんですが、乗車率はせいぜい6~7割程度でした。ヤフオクにも多数出品されていましたが、運転日が多いのと乗車証明書の配布がないせいかあまり人気はないようでした。
土曜日ということもあり本当は運転初日の3月24日希望だったんですが、指定が取れずやむなく25日にしました。後で聞いたところによると24日は強風の影響で餘部鉄橋を通過できず手前の香住駅で折り返しになっていたそうです。これではわざわざ来た意味がありません。とんだけがの功名でした。25日も朝方まで天気が悪かったんですが、午後からは何とか持ち直し餘部鉄橋を無事通過し、眼下の風景を楽しむことができました。
写真は「裏辺研究所」よりお借りしました。見てのとおり餘部鉄橋(山陰線・鎧~餘部間)を通過しているところを撮影したものです。自分が乗っている列車の写真なので自分で撮れるわけがないです。
【補足:2015/5/16】
見事な職人技を発揮してくれた英賀保駅の窓口ですが、平成27年3月13日でみどりの窓口を閉鎖し、「みどりの券売機プラス」に置き換えられています。
4月1日分をダメモトで前日夜に尋ねたら、
「行きなら空席がありますが」「お願いします。」「窓側で宜しいですか?」「はい」
てなわけで、4/1に急遽餘部へ行ってきました。
橋も普通列車もすごい人ですね。
肝心の列車は、停車駅の案内を淡々と繰り返すだけで、特段変わった案内やイベントはありませんでした。
でも、それがかえってこの辺りに12系客車が当たり前のように走っていた頃を思い出させてくれました。
投稿情報: かんくん | 2007年4 月 2日 (月曜日) 12時40分
土日は特にすごい人出だったと思います。私が行った日は餘部駅の「お立ち台」は危険防止のため入場制限がかかってました。
私はイベントとかはあまり期待していないので列車はあんな感じでよかったと思います。
投稿情報: 今出川 | 2007年4 月 3日 (火曜日) 05時59分