民営化30周年
ちょっと遅れましたが、4月1日で国鉄がJR7社に分割民営化されて30年が経ちました。30年経って7社の中には、営業利益30%を誇り自前資金を何兆円も投じてリニアの建設を進める会社もあれば、赤字路線を多く抱えて存亡の危機に瀕している会社もあり、会社間の経営体力の差が顕著になってきています。光の明るさに対して影が濃くなっているような印象があります。
私は国鉄改革は概ね成功だったと思っています。もし、今でも国鉄だとしたら、東海道新幹線には延命工事を施した100系が走っているでしょうし、ICカード一枚でJR・私鉄・バスをシームレスに移動できる世の中にはなっていなかったでしょう。ただ、5年とか10年のタイミング<少なくともJR東日本が上場する前に>で国鉄改革の枠組みを見直すことは必要だったんじゃないかと思います。
当初から赤字が見込まれるJR三島会社に対しては1兆2000億円もの経営安定基金が用意され、その運用益で鉄道事業の赤字を埋め合わせる想定でした。その運用益は約6%程度という高利が前提で計算されていて、今のような低金利を想定していません。会社存続の前提が既に破綻しているのです。
現在のJR北海道の苦境は低金利ゆえ経営安定基金の運用益が想定より大きく目減りし、車両や設備に対する必要な投資ができなくなったことに起因しています。経営安定基金を積み増すなり、経営の枠組みを変えるなりこうなる前に策を講じる必要はあったと思います。
本題の紙切れに戻ります。こちらのきっぷはJRが発足した初日の京浜東北線・新子安駅で発券された相模鉄道への連絡乗車券です。この券は上に[東]の社名記号はありますが、国鉄地紋で、俗に「過渡期券」とも呼ばれます。過渡期券はJR地紋の券紙が行き渡るまでの措置とし、昭和63年3月末まで存在しました。
若い人には見慣れない様式かもしれませんが、今はなき印発券です。機械発券ですが、指定券を発行する機能はなく、各社共通のPOS端末のような位置づけでした。当時はマルスはある程度大きな駅にしかなく、中小駅はこのような印発券が主流でした。
こちらは昭和62年4月6日に富山駅旅行センターで発券されたN型マルスの特急券です。今はなき特急「白鳥」のものです。こちらも券紙の左上に「国鉄」と印刷されている国鉄地紋の過渡期券です。右下に他社関連を示す(4-タ)が印字されています。ちなみにJR地紋になってからは左上の「国鉄」はなくなりました。
過渡期券にはこんなものがありました。昭和62年6月5日に千歳線・千歳空港駅(現:南千歳駅)で発売された乗車券です。JRになってからも国鉄時代の残券を発売していたので、左上に[北]のスタンプを押してJR券っぽくしています。他に同じようなものがないか手持ちを探してみたところ、JR北海道とJR西日本に少しあっただけで、他の会社はそのまま国鉄の残券を使い回していました。
さて、次の10年はどんなJRになっているんでしょうか。北陸新幹線は敦賀まで延伸し、九州新幹線長崎ルートもリレー方式で暫定開業している予定です。逆に地方ではローカル線の切り捨てが進んでいるのでしょう。いま危機が喧伝されているJR北海道は乗り切れているんでしょうか。いつまで鉄ヲタをやっているかは自分でも分かりませんが、次の10年もできるだけ現地に足を運んでみたいと思っています。
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