さよなら200系
◆種別:新幹線
◆区間:新潟~東京
ダイヤ改正のたびに新しい車両が登場し、古い車両がなくなっていくものです。今年姿を消した車両はJR東日本の200系新幹線、クモハ123系、JR東海の117系、JR西日本の183系、583系などが挙げられます。その中でJRグループから完全に姿を消したのは200系新幹線です。
(熊谷駅:200系リニューアル車)
200系新幹線は東北・上越新幹線開業前の昭和55年から製造開始しました。派生型を含め平成3年まで製造されていました。新幹線車両の耐用年数は15年程度と言われていますが平成11年より順次延命工事を施し、10年程度延命できるよう対策をしていました。今年まで使われた車両はみな延命工事を施された車両です。
東北新幹線からは平成23年に撤退しており、それ以降は専ら上越新幹線で使用されていました。最晩年は1日4往復にまで本数を減らしており、乗ったり撮ったりするのになかなか苦労しました。こうなる前に課題はクリアしておかなければいけないんですが…。
きっぷは見ての通り、定期運行最終日(3月15日)の「とき342号」に乗車しています。金曜夕方の上り列車だったので、通常であれば満席になるような列車ではないんですが、この日ばかりは満席になっていました。200系新幹線を利用すると銘打ってこの列車を利用するツアーも組まれていたようです。
折り返しの「とき347号」は名実ともに200系定期運行の最終列車になりました。偶然か意図的かはわかりませんが、原色に塗り替えられたK47編成が充当されました。上の動画はその「とき347号」が東京駅を発車する時の様子を向かい側のホームから撮影したものです。ものすごい人出で大混乱しています。
定期運行終了後は東北・上越新幹線で各地から東京向けのパックツアー向けの団体専用列車が何本か運転されました。しかし、臨時列車の設定はなぜかありませんでした。団体専用列車での運用も4月14日に新潟~東京間で往復運転された「さよなら200系」号で最後となりました。
このきっぷは私が使用したもので、「さよなら200系」の往路のものです。団体専用列車で運転されたので、このような乗車票になります。専用列車にしてはやけに朝早くて起きるのがちと大変でした。
(新潟駅)
充当された編成は国鉄色に塗り替えられたK47編成でした。200系の中でこの編成が最後の最後まで走りました。先頭車にはこの運転に際して公募されたデザインのステッカーが貼られていました。
定期運行終了後に200系を使用したパックツアーは軒並み完売御礼状態になっていました。私が参加したこのツアーも早い段階で売り切れていたようです。ヲタもそれなりにいましたが、200系に思い入れがあって最後の最後に乗っておきたいという感のヲタっぽくない人も少なからずいたのは意外でした。
なお、このK47編成のうち1号車(写真に写っている車両)は解体を免れ、新潟市の「新津鉄道資料館」で移送されています。来年4月から公開されるようです。200系新幹線の廃車によって、JRグループから国鉄型の新幹線車両がすべて姿を消しました。一番早く姿を消したのが100系だったのは意外でしたが、0系や200系は延命工事を施していたのでその分長く使われた感です。
私が鉄ヲタとして入り込んだ頃は国鉄型の新幹線しかありませんでした。それ以降今まで慣れ親しんだ車両が全部なくなってしまったのは寂しさはありますが、これも時代の流れで仕方ないものなのかなと思っています。
【年末ですね】
この記事は鹿児島で書きました。今年はこれで終わりです。今年は派手に動きすぎましたので、来年は少し大人しくする予定です(ただし、予定は未定)。来年は関東近郊を中心としたものや、過去に自分で動いて集めた記録をまとめて、記事に仕込んでいこうかと思っています。
いつまで続けられるかわかりませんが、とりあえず来年も気長にお付き合いください。どうぞご贔屓に。
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