静かな終焉
(岩泉駅で発車を待つキハ52系)
3月31日で岩泉線が廃止となりました。JR東日本の路線で整備新幹線絡みや第三セクター転換を伴わない廃止は初めてでした。平成22年7月の土砂崩れによる脱線事故以来、全線で運転を見合わせバスによる代行運転が続いていました。
岩泉線は昭和47年開業という比較的新しい路線ですが、国鉄時代から赤字路線で廃止対象として検討されていました。しかし、沿線道路の未整備を理由に延命しJR東日本に引き継がれました。だからと言って経営状態が向上することはなく、岩泉線はJRグループはもとより、全国の鉄道路線の中で最悪の赤字を記録していました。平成21年度はわずか800万円の運賃収入に対して、営業費用は2億6500万円かかっていて、差し引き2億5700万円の赤字でした。
土砂崩れ災害の影響は大きく、JR東日本の試算では復旧費用と安全対策の費用の合計が130億円とされました。当然地元は費用を圧縮した上での復旧を要求しましたが、災害前の経営状態を考えたら廃止は必然だったと言えます。ゼロがもう2つ少なかったら復旧の可能性もあったかもしれませんが…。
終点の岩泉駅の写真です。昭和47年の岩泉駅開業時に建てられたもので、ローカル線にはしては立派な駅舎です。駅部分は1階で、2階には地元の商工会が入居しています。廃線後は所有者のJR東日本が駅舎を岩泉町に寄付するそうですが、肝心の利用方法はまだ決まっていないようです。
岩泉駅は簡易委託駅で、きっぷはこのような常備券が発売されていました。この他に盛岡から仙台・大宮・上野・東京までの新幹線特急券(席種問わず)を料補で発売していました。
変わり種としては盛岡駅までJRバス東北を利用することを前提に、盛岡発の乗車券を発売していました。以前の記事で書いたとおり、バスの方が本数が多くて速いので、不通になる以前から列車で盛岡まで行く人は少数派だったようです。
せっかく訪れたついでにホームにも出てみました。列車の発着はないため、ホームや線路は除雪されずそのままです。駅名板もこの時点でもう外されていたので、既に廃線のような雰囲気が漂っていました。
私自身はキハ52系が走っていた頃に2~3回行ったことがあるだけで、その後はご無沙汰していました。キハ110系に置き換えられてからは確か行ってなかったので、なくなる前に一度は乗っておきたかったなとは思っていました。
今週末で廃止になる江差線・木古内~江差間は廃線を目前に控えていま多くの客で賑わっています。普段1両編成のところを3両編成で運転されている列車もありました。沿線ではイベントが開催されたり、記念きっぷも発売されていたりします。きっと最終日はもっと賑わうことだと思います。片や岩泉線は災害によるいわば突然死で、最終日と言っても書類上でのことでした。なので、特段大きく報じされることもなく、誰からも見送られることなく終焉を迎えた感じがします。
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