EF55碓氷号
◆種別:快速
◆区間:高崎→横川
EF55型機関車は昭和11年に3両だけ製造されたJRに現存する最古の電気機関車です。そのうち1号機は東海道線の特急列車の牽引を中心に活躍しました。終戦後、高崎線の電化に伴い昭和27年に当時の高崎第二機関区転属し、昭和33年まで使用されました。
その後は国鉄職員の養成所である中央鉄道学園で教習用車として使用(静態保存)され、昭和53年に準鉄道記念物に指定されています。昭和60年に高崎第二機関区の機関車展示会で構内走行可能な状態に復元され、大きな反響を呼びました。国鉄はそれに応え1号機を本線走行可能な状態に整備し、昭和61年6月に車籍が復活しました。その後JR東日本に継承され、高崎運転所(現:高崎車両センター高崎支所)に配属されました。
(信越線・横川)
…とまぁ長々と書きました。見ての通りその形状から「ムーミン」という愛称が付いています。「流線型」というと聞こえがいいですが、私には「下膨れで野暮ったい」と印象で、機関車の形状としてはEF58の方が格段に格好いいと思っています。しかも、運転台が「流線型」になっている片側にしかないため、方向転換するときは蒸気機関車のごとく転車台が必要になるという妙な造りです。
そのEF55が遂に2度目の引退をすることとなり、そのさよなら運転が一昨年暮れ~昨年末にかけて行われました。なんで今さらそんな記事が出てくるかと訝られるかもしれませんが、単に私の事情です。この記事は書き始めてからなぜか2年近く仕上げきれずに残ってそのままになっていました。
指定は発売当日に売り切れたようですが、朝早く何となく「指定席券売機」をいじっていたら取れてしまったので乗ってきました。文字通り「早起きは三文の得」でした。もっとも、牽引される機関車が違うと言うだけで客車はいつもと同じ12系で、乗っている分については違いはありません。まぁそれは重々承知なんですが。
さて、当日は専用のヘッドマークが取り付けられていました。年号が「1936~2009」となっていますが、この列車に乗車した時はまだ2008年でした。乗っていないのでわかりませんが、年明けにかけてのさよなら運転でも流用されたんでしょう。12系客車にも専用の方向幕があったのはちょっと驚きでした。
車内は年末の休みに入った人も多かったようで、ヲタ列車の割に結構混みあっていました。私の座ったボックスも4人きれいに埋まりました。ただ、窓側に座ったヲタ(30歳前後)+そのママが困り者で、ヲタが真冬だというのに窓を全開にして必死こいて沿線をビデオカメラで撮影していました。おかげで寒くってしょうがなかったんですが…。ママは注意するわけでもなく、その姿を微笑ましく眺めているだけでした。撮影するにしても冬場なので窓開けは最小限にするか、周囲に一言ぐらい配慮すべきだと思うんですけどね。
高崎~横川間は結構な勾配区間で、SLで登るとあからさまにスピードが落ちて苦しそうなんですが、EF55は古いとはいえ電気機関車なのでそんなに速度が落ちずにスイスイ登っていきました。そんなわけでいつもより体感的に早く着いてしまい、「もう終わり?」って感じたぐらいです。
平成21年1月の運転で引退したEF55は現在でも車籍は残っているものの、営業運転に供されることはなく高崎車両センターで保存されています。私は時期を見計らって大宮の鉄道博物館入りすると見ていますが、ひょっとしたら何年か先に三度目の復活があるのかもしれまん。
【補足:15/7/7】
EF55は平成27年5月に鉄道博物館入りしました。
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