栄光のキハ52号
▼種別:普通
▼運転区間:盛岡~岩泉・宮古
(盛岡駅発車案内)
最初にこの名前を聞いたときに「一昔前のオリンピック中継じゃあるまいし…」と感じました。
JR東日本盛岡車両センター所属のキハ52系がついに運用離脱することになりました。3月で花輪線からは一足早く撤退し、山田線・盛岡~宮古間と岩泉線を中心に細々と運用されていました。その最終日である11月24日に盛岡→岩泉・宮古間で「栄光のキハ52」号、宮古→盛岡間で「さよならキハ52」号が運転されました。
下りの「栄光の~」は山田線内の盛岡~茂市間で併結し、岩泉行は全車指定席で宮古行は全車自由席でした。上りは宮古発の運転はなく、岩泉発が全車指定席での運転でした。代わりに宮古発は定期列車に増結する形で全車自由席の「さよならキハ52」号が運転されました。
「せっかくの3連休だし取れれば乗るかな~」と思い、下りの指定席を狙ってみました。発売日の朝は早起きして最寄駅を含め見込みのありそうな三駅に絞って「仕込み」ました。そして一駅だけ取れていました。この駅はこれでヲタ列車5戦4勝です。感謝を込めてついでに「三連休パス」も購入し、わずかながら売上に貢献しました。
数の絶対数が少ないせいかヤフオクの出品も少なめでしたが、その数少ない中にはなんと1枚1万円(!)で落札されていたものもありました。これには呆れるばかりでしたが…。
下りは盛岡駅を比較的朝早くに発車しますが、東京発朝一番の新幹線でも間に合いました。でも、私にとっては早起きの方がしんどいので前日の寝台特急「あけぼの」で秋田に行き、「こまち」に乗り継いで盛岡入りしました。
そうして朝9時前には盛岡駅に着きました。11月下旬でかなり肌寒いのに入線するホームには100人近くの人だかりができていました。普段見られないだけに国鉄色だけで揃えられた4両編成は壮観でした。車両の状態は1両を除いてさほど悪くないように見えました。古い車両とはいえど塗装は比較的きれいで、これで運用終了→廃車になるのはもったいないように感じました。
(盛岡駅入線)
全車自由席の宮古行はほどなく通路まで人が一杯になりました。全車指定席の岩泉行は7~8割程度埋まっていました。指定券は発売初日の「30秒後には売り切れていた」(申し込んだ三駅のうち取り損なった駅の係員談)そうですが、やはり指定券だけ取って乗らないコレクターもいたようです。指定券の列車名に「キハ52」と車両形式が入ったのも要因の一つなのかなと思ったりします。
沿線はさすが北東北だけあってもう冬の気配が漂っていました。沿線の区界(くざかい)高原では数日前に降った雪がうっすらと残っていました。そんな寒い中にも沿線でカメラを構えている人が多くいました。またも車で追いかけ回していた危険人物もいましたが…。沿線で危険行為をする人間は意外や中年以上の世代に多い感じがします。
(茂市駅到着)
(分割作業中…)
茂市駅に到着し、前寄りの岩泉行(左)と後寄りの宮古行(右)を分割しました。岩泉行は逆向きに進むので、分割してから一旦進行方向(宮古寄り)に引き上げ、転線し隣のホームに入ります。普段はこうして茂市駅で分割作業をすることはありません。
(分割完了)
上の写真は分割が完了した時のものです。左が宮古行で右が岩泉行です。宮古行は手前側に進み、岩泉行は奥へ進みます。こんな面倒なことをしたのは茂市駅の線路の配線の都合上、岩泉線には盛岡方面から進入できないようになっているためです。
私は引き続き岩泉行に乗りました。茂市駅から指定券を持たずに自由席車両(宮古行)から移ってきた人も多くいました。それでも車内改札を行うことはなく、実質指定券なしでも乗れてしまう状況でした。ちゃんと指定券を購入して乗っている立場としては不満でした。ただ、岩泉線は本数がとにかく少ないため、上りしか指定券を取れなかった人は下りに乗らずに岩泉駅へ行ける列車がありません。付近に前泊するか朝早く盛岡を出発するJRバスで行くしかないです。こういった本数の少ない岩泉線でこんなS級のヲタ列車を全車指定席にしたこと自体にそもそもの設定に無理があったのではないかと思います。
(岩泉線・岩泉~二升石)
岩泉駅では地元の観光協会の方が龍泉洞の水のペットボトルやら絵葉書を配っていました。下りが12:54に着いて、上りが13:10に発車なので滞在時間はわずか16分でした。乗客はほとんどがヲタだったので、私とあと一人か二人を除いて岩泉わずか16分の滞在でまた戻っていきました。これでは岩泉町に対する経済効果は限りなくゼロに近いです。せっかく岩泉まで呼び込んだヲタを観光客にするようなダイヤに工夫すべきだったのではないかと感じました。
私はどうも貧乏性なので、「せっかく岩泉まで来たんだから龍泉洞ぐらい見て帰りたい」と思い、最初から上りに乗るつもりはありませんでした。岩泉駅から龍泉洞に行くバスは2時間近くなく、歩きも覚悟していたんですが、ペットボトルを配っていた観光協会の方のご厚意で車で乗せていっていただけました。見ていないとは思いますがこの場を借りて御礼申し上げますm(__)m 帰りは龍泉洞から盛岡駅行のJRバスで戻りました。
ちなみにこの日で運用離脱したキハ52系は廃車にならず、同じく運用離脱したキハ58系と一緒にミャンマーに輸出されました。日本ではお払い箱になりましたが、当地ではまだまだ使い道があるようです。でも、よりによって無防備のジャーナリストを至近距離から射殺するような国に輸出しないでも…と思ったのは私だけでしょうか?
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