さんべ
▼種別:急行
▼運転区間:米子~下関(1日1往復)
▼最終運転日:平成9年9月30日
急行「さんべ」は昭和43年10月より米子~博多・熊本間で1日3往復運転されました。山陰線西半分を走破し、九州は熊本まで乗り入れていました。1往復は同一列車でありながら途中の長門市~下関間で山陰線経由と美祢線経由で編成を分割して再併合するという設定があり、「再婚列車」などと言われていました。当時のことをリアルで知っているわけではありませんが、かつて西村京太郎の推理小説で読んだことがあります。
(A型硬券)
また、昭和59年までは夜行(寝台)列車の設定もありました。夜行列車廃止後は全車自由席で、最晩年は2両編成での運転でした。
この列車には青海島観光に行く時に乗ったことがあります。初めて乗ったJRの急行列車がこの「さんべ」で、個人的には思い出に残る列車だったりします。浜田~下関間で走っていた急行「ながと」が廃止になった直後だったので平成4年3月だったと記憶しています。この時既に九州乗り入れは中止していて、下関発着に変更されていました。
(山陰線・米子)
車両はJR西日本下関運転所(当時)のキハ58系でした。都会育ちで電車しか知らなかった私にとって、下関駅の片隅でくすんだ緑色の2両編成のディーゼルカーが黒い煙を出しながら轟音を立てて止まっている姿は軽いカルチャーショックでした。本当は良くないんでしょうけど、「さんべ」の車掌さんからダイヤ改正で要らなくなった「ながと」の業務用の携帯時刻表を貰いました。その時は天気が良くて青く澄んだ山陰の海が印象的でした。
写真は手持ちがなかったので「裏辺研究所」よりお借りしました。山陰線・米子駅で撮影したものだそうです。
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