丹後
▼種別:急行
▼運転区間:京都~東舞鶴・西舞鶴・網野・豊岡・城崎・敦賀(1日5.5往復)
▼最終運転日:平成8年3月15日
区間を見てわかるとおり、京都から山陰線を経由して丹後・但馬地方をくまなく結んでいた急行列車でした。旧宮津線を第三セクター化した北近畿タンゴ鉄道や小浜線にも乗り入れていました。
登場は昭和41年で京都~天橋立・豊岡・福知山間を結びました。その後昭和47年春までに1日8往復までに増発されましたが、同年8月の特急「あさしお」の運転に伴い1日6.5往復に減便されました。昭和60年にさらに1往復減便され1日5.5往復となるまでその体制が続きました。JRになってからも運転本数は変わることなく廃止まで維持されました。
平成8年3月に山陰(嵯峨野)線・園部~福知山間および北近畿タンゴ鉄道・福知山~宮津~天橋立間の電化完成により電車化され、特急「あさしお」とともに廃止となりました。これを機に京都駅からの山陰線の優等列車の愛称を方面別に整理しました。
末期の頃の車両はキハ58系でした。急行「砂丘」や「たかやま」と同じように最後までグリーン車が連結されていたのが特筆されます。所属はJR西日本福知山運転所のものがほとんどでしたが、運用や併結編成の関係で米子運転所や福井鉄道部のものもありました。
私は平成8年3月15日の最終日に山陰地方を乗り鉄していたんですが、「あさしお」を優先するあまり「丹後」には乗れないまま終わりました。今だったら気合で旅程を組み替えて無理にでも乗っていたと思うんですが悔やまれます。
列車の写真は手持ちがなかったので「日本の旅・鉄道見聞録」からお借りしました。山陰線・城崎(現:城崎温泉)駅で撮影したものだそうです。
丹後といえば真っ先に思い出すのが、峰山駅で発売していた列車名常備券、駅の目の前に府庁の出先機関がある関係か、出張利用者が多かったのでしょうか?丹後号の列車名、区間、発車時刻まで印刷された「完全常備券」がJR後まで残っていました。(もちろん普通車指定席にもありました。)
これがほしくてわざわざはじめて急行グリーン車にチャレンジしたものです。
ちなみに北近畿タンゴ以降後も硬券は残存しましたが、列車名は空欄となりました。その後、急行自体が消滅したのは仰る通りですが、現在は特急指定席に限り軟券化されているので、仮に急行が残っていても、硬券は消滅していたかもしれません。
投稿情報: かん | 2007/11/18 23:02
峰山=ノムさん(楽天野村監督)の出身地というイメージがあります。
峰山に丹後の完全常備券なんてあったんですか…。知りませんでした。北近畿タンゴ鉄道に転換されてからの丹後の急行券(D硬券)を一枚だけ持ってるんですが、金額以外全て補充でした。
以前、網野駅で常備軟券を見たんですが、おっしゃるとおり完全常備券はありませんでしたね…。
投稿情報: 今出川@北九州 | 2007/11/18 23:33