だいせん
▼種別:急行
▼運転区間:大阪~米子(1日1往復)
▼最終運転日:平成16年10月16日
「だいせん」という愛称は昭和28年から使われていましたが、昭和43年10月以降は福知山線経由で大阪~出雲市・大社(平成2年廃止)・浜田・益田間の急行列車として定着しました。晩年は座席のみの夜行列車になってしまいましたが、その当時は昼行列車と寝台車を連結した夜行列車の設定もありました。
<だいせん1号(下り)・昭和52年4月>
大阪(9:50)
→城崎(13:18)/鳥取(14:43)/米子(16:20)/出雲市(17:36)
→大社(17:55)
→浜田(19:25)
(※出雲市駅で大社行と浜田行を分割)
大阪から浜田まで乗り通した人はその当時でも稀だとは思いますが、9時間半とはすごいです。今ではとても考えられないスケール感です。
昭和61年11月に福知山線が電化され、特急「北近畿」 の運転が始まると昼行列車の「だいせん」はそちらに組み込まれ夜行列車のみとなりました。この時に大阪~出雲市間に短縮され、倉吉~出雲市間は急行料金不要の快速列車として運転されました。平成11年10月に客車からキハ65系「エーデル」に置き換えられ座席車のみとなり、区間は大阪~米子間とさらに短縮されました。晩年は大阪~福知山間の始発・最終列車を兼ねるようになり、大阪~宝塚や大阪~三田といった通勤客による区間利用も目立ちました。平成16年10月に利用客の減少とともに廃止となりました。この時、山陰線から急行列車が全廃されました。
私が乗ったのは3~4回ありましたが、全て客車時代のもので「エーデル」になってからは乗れずに終わりました。写真は山陰線・米子駅で撮影したもので、「裏辺研究所」 の「日本の旅・鉄道見聞録」 からお借りしたものです。「エーデル」には展望車が付いていますが、夜行列車に展望車が必要だったのかしらん??と不思議に感じます。
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