なは
▼種別:特急
▼運転区間:京都~熊本(1日1往復)
登場は昭和43年10月で新大阪~西鹿児島(現:鹿児島中央)間の昼行(!)のディーゼル特急でした。鹿児島まで到達するこの特急の名前の由来は「(当時アメリカ領だった)沖縄の本土復帰を祈念して」ということらしいです。昭和47年10月電車化、昭和50年3月電車寝台、昭和59年2月に客車寝台となりました。運転区間も京都発着になったりまた新大阪発着になったり転々としています。
<昭和52年4月・なは号(電車寝台時代)>
新大阪(20:41)
→熊本(8:21)/水俣(9:43)/川内(10:56)/西鹿児島(11:44)
<平成13年3月・なは号(客車寝台時代)>
新大阪(20:22)
→熊本(7:09)/水俣(8:29)/川内(9:36)/西鹿児島(10:23)
所要時間は客車になったにもかかわらず1時間近く短縮されています。熊本以南の所要時間は大して変わっていません。単線区間でスピードが出せないためかと思われます。
JR化されてからはA寝台の連結こそなかったものの、普通の2段式B寝台に加え普通指定席の「レガートシート」やB寝台1人用個室「ソロ」、2人用の「デュエット」が連結されるようになり、バラエティに富んでいました。車両はJR九州熊本運輸センター所属です。平成17年3月からは寝台特急「あかつき」と併結するようになってからは京都発着に変更となり、「レガートシート」の連結はなくなっています。
九州側の発着は運転開始以来ずっと西鹿児島でしたが、平成16年3月に鹿児島線の八代~川内間が第3セクター化されたことに伴い、熊本発着に短縮されました。鹿児島まで到達しなくなった現在でも「なは」を名乗るのは少々違和感がありますが…。
私が乗ったのは2回だけです。しかし、西鹿児島→川内の「レガートシート」と熊本→阿久根の立席という具合なので寝台特急として利用したことはないのが現状です。
写真は鹿児島線・水俣駅で撮影したものです。現在は「肥薩おれんじ鉄道」に移管されています。
【追記】
平成20年3月14日で廃止になったため、カテゴリーを変更しました。
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