北上から平泉へは電車で移動。北上~平泉間はおよそ30分で日中は1時間に1本の運転。写真の701系は東京と同じオールロングシート車両なので、旅をするには味気ない。短時間ならいいが長時間乗るには苦痛な車両。
平泉に到着。JRの営業キロでは35Kmしか離れていないが、ここは完全に葉桜。平泉駅は中尊寺最寄り駅ではあるが、駅の案内板には毛越寺(もうつうじ)の案内しかない。有名な中尊寺を差し置いてちょっと不思議な感じはした。
中尊寺は過去に2回行ったことがあったので、滞在可能時間を勘案した上でパスして毛越寺へ行くことにした。駅前の土産物屋に荷物を預け、レンタサイクルを借りて毛越寺へ向かった。
平泉駅からまっすぐ伸びる緩い上り坂を登った。平泉駅から毛越寺までは600mほど。ダラダラこいでいるうちに着いた。レンタサイクルを借りるほどでもなかったかもしれない…と感じた。
毛越寺は奥州藤原氏の2代目の基衡によって建立された。塔が40以上に僧坊が500余りというかなり大規模な寺だったようだが、相次ぐ火災により戦国時代には建立当初の建物は全て失われて礎石が残るのみという寂しい状態になっている。この看板は往時の様子を推測して描かれたもの。
境内にあった松尾芭蕉の直筆の句碑。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
平泉は源義経終焉の地。松尾芭蕉はその主従をしのでこの句を詠んだそうな。1689年のこと。この頃には建立当時の面影はなく、寂れていたのかもしれない。
境内のしだれ桜。満開からはちょっとピークを過ぎている感。35Km北にある北上が満開だったので、GW前半ごろがちょうど満開だったのかもしれない。
毛越寺は建立当初の建物は全て失われているが、「浄土庭園」には平安時代の庭園の遺構が残っている。京都以外ではなかなか見られない貴重なものだと思う。秋は紅葉で有名で、冬は雪が積もるから四季でそれぞれ違った表情が見られるのだろう。
毛越寺には「○○跡」という看板が多い。これは境内に残る数少ない時代を感じる建物。常行堂は江戸時代の1732年に建てられたもので、摩多羅神(またらじん)という神が祀られているらしい。毛越寺は天台宗の寺なのになぜ神が祀られているのかよくわからないが…。
常行堂を眺めていたら、屋根のてっぺんに金色のやんごとなき御紋があるっぽいことに気づいた。望遠レンズを駆使して撮影してみたら案の定…。毛越寺と皇室の関連はわからないが、摩多羅神という神つながりなのかもしれない。
別アングルから浄土庭園をもう一枚。こうして見るとあのへんに伽藍があったんだろうなぁ…となんとなく想像がつく。寺としての見所は多くはないけど、昔はこうだったんだろうなぁ…イマジネーションをかき立てつつ庭園を散策するのもよかろう。
(平泉編続く)
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