最近のJR西日本の駅によく見かけるポスター。J-WESTカードの長澤まさみに萌えながら、神戸駅から電車を乗り継いでJR東西線・大阪天満宮駅へ向かった。彼女は静岡県磐田市出身なので西の方とはあまり関係ないように思えるが…。
大阪天満宮駅は地下駅なので駅舎らしいものはない。JR東西線は京橋~尼崎間を結び、平成9年に開業した新しい路線で中間駅はすべて地下駅。ここに降り立ったのは造幣局名物の「桜の通り抜け」を見に行くため。確かこの駅で降りたといううっすらとした記憶だけを頼りに何も調べてはいなかった。
実は6年前にも「桜の通り抜け」に行っていて今回で2度目。前回行った際にあまりにきれいで感動したのと、友人の結婚式とちょうど時期が重なったため再度行こうと3日前のニュースで見て思い立った次第。造幣局から大阪天満宮駅へは既に人の流れができていた。
大きな幹線道路沿いを人の流れに向かって歩いた。しかし、こちら(大阪天満宮駅)から向かう人の数に比べて、造幣局からこちらに向かい人の数が断然多かった。でも、それは時間帯(昼1時過ぎ)によるものだと思ってあまり気にしなかった。10分ほど歩いて「造幣局」という表札のある大きな門に到着。奥の建物が造幣局本館で昭和13年築。私好みの建物だが、近すぎて全体像が収まらなかったのが残念。また今度の機会に…。
そのすぐ隣には造幣局北門がある。ここで「やられた!」と思った。「桜の通り抜け」は混雑を避けるために南門→北門方向への一方通行となっているため、北門からは入れなくなっている。6年前もそうだったが、そんなことは忘れていた。南門に近いのは大阪天満宮駅ではなく、もう一つ先の大阪城北詰駅のほう。大阪天満宮駅から造幣局へ向かう客が少なかったのはそのため。
自分のアホさ加減に苛立ちつつ、南門へ戻るべくいったん大川(旧淀川)の鉄橋を渡った。写真の左側が造幣局側。こいかにも古そうで無骨な鉄骨の橋は正式には「桜宮橋」、俗には「銀橋」と言うらしい。私の第一印象では東京の勝鬨橋によく似ているように思った。
このいかにも古そうな橋に興味を覚えたので、橋が架けられた時期を示す手がかりを探してみた。そうしたところ「昭和五年 汽車製造株式会社 製作」という銘板を見つけた。ネットで調べれば時期は簡単に調べられるが、こうして手がかりを探すのも面白い。ちなみに「汽車製造株式会社」は大阪をルーツとし、文字通り鉄道車両を製造していた会社だったが、昭和47年に川崎重工業に吸収され消滅している。鉄道車両と橋梁は関係なさそうに思えるが、巨大な鉄の構造物を扱うという点では共通点があるのかもしれない。
「桜宮橋」の上から大川を臨む。左にそびえるのは大阪ビジネスパークのオフィスビル群。こういう景色を見ると大阪が「水の都」と呼ばれる由縁だと感じる。川では遊覧船が乗客満載で運航されていた。
(まだ桜の通り抜けに達しないので続く)
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