毛越寺は早々に見終わってしまったので、中途半端に時間が余ってしまった。駅で時間を潰すには長すぎるし、中尊寺の奥(金色堂)の方まで見に行くには時間がない。そこで中尊寺の入り口まで行くことにした。平泉駅から中尊寺へ向かう道は自転車が走るには十分な幅の歩道が整備され、道端にチューリップがきれいに咲いていた。
毛越寺から中尊寺の入り口は2Km程度の道のり。国道に面した中尊寺の入り口には車や観光バスがあふれ、駐車場は満車になっていた。早速目に付くのは武蔵坊弁慶の墓。亡くなった後この地に埋葬されたらしい。弁慶は全身に矢が刺さりながらも仁王立ちで主君を守り、立ったまま絶命したとされるが史実であるかは不明。
時間を余してレンタサイクルを返却。平泉から仙台行の臨時快速列車「お座敷藤原まつり号」に乗った。お座敷列車「ふるさと」という車両。団体列車で稼動することが多く、一般客が乗ることができる臨時列車で走ることはめったにない。乗車率は半分強といったところ。
運動してのどが渇いて甘いものが欲しくなったので、ずんだ団子をいただく。「ずんだ」とは枝豆を甘く味付けしてすり潰しあんこ状にしたもの。食べると後味がちゃんと枝豆の味がする。宮城~岩手ではよく食べられている。食べている途中で飽きてきたので1人で3本食べるのは正直ちょっと多かった。
お座敷列車の車内はこんな感じ。車内の真ん中にテーブルが連なり、窓を背にして座椅子に座る。掘りごたつにはなっていないので、長時間乗ると膝がしんどいかも。年代もののカラオケやポットが置いてあり、いかにも団体向けの車両といった感。
平泉から仙台まで2時間弱で到着。仙台駅は多くの人で賑わっていた。仙台駅から政宗騎馬像がなくなって久しいが、ないとどうも間が抜けたような感。かつてはステンドグラスの右脇にあった。現在は県北の大崎市(旧:岩出山町)の有備館というところに移設されている。
仙台駅も駅ナカ整備が進み、駅構内にいて名物の牛タンや寿司が食べられる一角ができた。牛タンはどこも長蛇の行列ができていて、寿司屋よりも盛況だった。牛タンはBSE騒動で価格が高騰して以来高値安定。昔の定食の値段を知るものとしては並んでまで今の価格で食べる気にならない。今の普通盛の価格で、昔の大盛を食べてもお釣りがくる。なので、ここは敢えて立ち食い寿司で一本勝負。宮城は三陸に近いため、魚もおいしい。
寿司を食べ終わってから、かつて暮らした仙台の街を散策してみた。ここは仙台駅前の青葉通にあった「仙台ホテル」跡。明治29年に東北地方初の洋風ホテルとして開業し、それ以来仙台では確固たるステータスを誇っていたが、格安ビジネスホテルに押されて昨年一杯で閉鎖され解体工事が進んでいる。
(昨年12月撮影)
これは昨年暮れに最初で最後に泊まったときの仙台ホテル。道路から濡れずにホテルに入ることができるような心配りもあった。元仙台人としては再開発で新しく建つビルに仙台ホテルが再興されることを期待したいが、仙台とは何の関係もない東京資本のオリックスなので期待しない方が無難かも。
仙台からはいよいよGWの大旅行の最終ランナーである「こまち」に乗り換え。「はやて」が連結器を出して、「こまち」が来るのを待っている。「はやて」+「こまち」の連結作業はほとんどが盛岡駅で行われるが、少ないながらも仙台駅で行うものがある。「はやて」が盛岡~仙台間を各駅停車し、「こまち」が同じ区間をノンストップで追いかけてくる。
「はやて」が到着してから2~3分後に相方の「こまち」が現れる。「こまち」は止まらずスピードを落としてゆっくりと進む。「はやて」に近づくと「こまち」の連結器のカバーが開いた。
動画で撮影するとこんな感じ。「こまち」が一旦止まってから、ゆっくりゆっくり近づいて連結する。誘導は駅構内のアナウンス。この時の「こまち」の運転士は上手だったようで、衝撃がほとんどなかった。下手だと「はやて」の編成全体にガクンという大きな衝撃が伝わる。
私は連結された「こまち」に乗ってGWの成田発福岡・熊本・長崎・福井経由北上行きというわけのわからない長旅の帰路に着いた。さすがの私もしばらく列車に乗りたくないと感じた。ちなみに4月30日~5月4日の移動距離は約3800Km。
(平泉編おしまい)
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