長崎から17分で諫早へ到着。直前に出た激混み快速列車を抜いて先に諫早へ到着。長崎~諫早の自由席特急料金は300円。短い距離でもこれなら利用価値があると思う。私と同じように諫早駅で降りた人が20人ぐらいはいた。
諫早駅の片隅に島原鉄道の0番ホームがある。ちょうど良く急行列車と接続していた。急行料金は不要。島原鉄道は一昨年3月の末端区間の廃止を機に旧型車を一掃し、こういった感じの新しい気動車(キハ2500形)が走っている。
博多方面からも接続を取って、一両編成の急行列車は乗客を満載して発車。車窓の右手には雲仙岳っぽい山が見えてきた。噴煙は見えない。でも、初めての雲仙でテンションが上がる。
諫早から50分で島原駅に到着。島原鉄道は掘っ立て小屋のような簡素な駅舎が多かったが、島原駅は群を抜く立派さ。島原城を模したと思われる。平成20年3月に廃止になった末端区間への代替バスはここから発車する。城までは直線距離で約400m。駅を出たら目の前に見えていた。
島原駅から緩い上り坂を登るとお堀と天守閣が見えた。お堀には葦が密集して生えていた。駅からの直線距離は確かに近いが、城への入り口はぐるっと半周したお堀の向こう側なので、結局は1Km近く歩く羽目になる。タクシーを使うほどの距離ではないけれど…。
城の入り口まで歩く途中にあったJA島原雲仙島原支店の建物。特に紹介はなかったが、入り口のアーチ部分を見たときに何やら古い建物の香りがして気になったので、こうして写真に収めた次第。調べてみたところ昭和2年築の建物らしい。
お堀をぐるっと廻って島原城下に到着。もともとの天守閣は明治の廃城令によって取り壊され、戦後になってから再建されたもの。内部は藩政時代や島原の乱関係の資料が展示されている資料館になっている。
城の周りを歩いていたら、石垣に妙な旗が刺さっているのを発見。この看板を見ただけでは何のことかさっぱりわからなかったが、「鉄腕DASH」の番組内で水鉄砲合戦という企画があり、それに鉄腕軍が勝ったため制圧した証として刺していったものだそうな。
城内に立つ天草四郎像。格好は武将だが、胸には十字架がかかっていて指を組んで祈っている。天草四郎は島原の乱を指導した人物と言われているが、出生・最期とも謎が多い。島原の乱は島原城より少し南にある原城で戦闘が行われた。
島原城内の資料館も見学したが、あいにく展示物は撮影禁止。天守閣から諫早湾を臨む。海の向こうに見えるのは熊本だろうか??右下にはさきほど降りた島原駅がある。直線距離は確かに近いんだけどねぇ…。
海とは逆側の景色。逆光がきつい。右に見える高い山が平成2年から7年までの雲仙普賢岳の火山活動によってできた平成新山。「日本で一番新しい山」という説明書きがあったのに妙に納得した。
島原をじっくり観光するのはまた今度の機会とし、2時間あまりの滞在で島原を後にし長崎へ元来た道を戻った。
(島原編おしまい。長崎編-3へ続く)
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